【Explosion of the frustration(溜飲嘔吐)】(60号油彩) 20世紀のアバンギャルド芸術、その偉大な業績は、既に過去となり我々の土台となった。近代芸術の流れにおいて、キュビズム、抽象絵画と続く合理主義と、ダダ、シュール.レアリズムなどの非合理主義の対立はアバンギャルド芸術の表裏一体を成している。どちらも真理でありながら、一方を牽制する考えには、私は反対だ。絵画においても、合理的、非合理的なものは、共に人間の表出として一要素であり、両者はお互いに矛盾しながら画面の上で止揚させるべきだ。
【Explosion of the frustration(溜飲嘔吐)】(60号油彩)
20世紀のアバンギャルド芸術、その偉大な業績は、既に過去となり我々の土台となった。近代芸術の流れにおいて、キュビズム、抽象絵画と続く合理主義と、ダダ、シュール.レアリズムなどの非合理主義の対立はアバンギャルド芸術の表裏一体を成している。どちらも真理でありながら、一方を牽制する考えには、私は反対だ。絵画においても、合理的、非合理的なものは、共に人間の表出として一要素であり、両者はお互いに矛盾しながら画面の上で止揚させるべきだ。
キュビズムは、物体を理性的に認識した上で二次元分割で新しい美を築き上げてきた。しかし、それは瞬間的内面的思考、アプリオリなものの定着において不向きである。つまり、面による描写は、多少なりとも理性的認識の次に来るもので、一つの情念は、次の瞬間、他の思惟が割り込み、認識の未分化な非合理的情念を打ち消してしまう。
また、超現実派は、物質の属性を否定し、幻想的非合理的美形式を打ち出したが、アカデミックな手法を多用したため、結局、技能至上的性格から抜けきれていない。今、私達には、より率直で非職入的な技術の飛躍が求められる。
ところで、誰でも、無意識のうちにメモなどに落書きをする経験はないだろうか。それは、対社会意識の緊張のスキをついて現れる表現欲の形象だ。その絵は、二次元的な広がりを持たず多分に線的要素が多い。元来、人間の目は黄点という点で観察し、それを脳で映像として組み立てる。描写するときも、点から線、線から面と構成される。つまり、アクチュール・オートマティック(自動描法)の属性は、点に時間をとり込んだ線描なのだ。この技術により、情念を瞬間的に結晶し、かつ、合理的秩序を切り捨てることなく時間を取り込みながら、混沌としたまま画面上に定着させる。理知的でありながら不条理で、抽象的でありながらリアリティな美しさを創造したい。
私の芸術をデタラメと感じられるかも知れない。これまでもアバンギャルドな美は概して多くの無理解によって応えられてきた。賞賛や讃美より、非難、嫌悪、罵倒は、私にとってむしろ活力である。私の芸術、それは、自身に対する警告であり、あなたの狂気を止揚せんとする刺客なのである。
(本作品は盗難中で、受注生産となりますので、ご了承ください)